歴史

神武天皇、長髄彦(ながすねひこ)の古跡豊かな真弓山には現在三塔頭が院門を構え、長弓寺を護持しています。
寺号縁起は奈良時代、この地の名族である小野真弓長弓(おのまゆみたけゆみ)が養嗣、長麻呂とともに聖武天皇に従って度々この鳥見郷で狩猟されたことに始まります。神亀五年(七二八年)のある日のこと、森より飛び立った異鳥を追いこれを射落とそうとした長麻呂は、誤って父である長弓を射殺してしまいました。自責の念から、その場で自らの懐剣により父の後を追おうとしたところをおとめになられたのが聖武天皇でした。陛下はその悲運な最後をご覧遊ばされ、深く憐れみを垂れ給い、行基に命じてその冥福を祈るためにこの長弓寺を建立なさいました。
その後、長麻呂は父の菩提を弔うため陛下の御命に従い出家し、法名発心房と号しました。 彼の妻であり長弓の実娘、白菊姫と呼ばれていた大神円生姫も同じく髪を切り仏門に帰依し円生法尼と号しました。
円生院はこの尼僧の旧室であり長弓寺創建以来絶え間なく続く塔頭御坊であります。