Vol.21「日本画-岩絵の具に魅せられて-」中川奈美さん

はじめまして、生まれ育った奈良にて日本画を描いている中川奈美と申します。
宥亮さんにお話をいただき、この度寄稿させていただきました。
私が自然と絵の道に進んだのは、物心付いた頃から絵を描く事が大好きだったのもありますが、父が上手かったことに加え、母の兄がデザイナー、次兄がイラストレーターとして名が出ていた横尾忠則、弟は週刊新潮の表紙絵を描いている画家、と絵に理解のある家族のもと育った事もあると思います。
小学生の時は隣の家のおばちゃんが開いていた絵画教室に通い、モノの見方、描き方などを楽しく教えていただいきました。
日本画というものを知ったのは、そのおばちゃんから「岩絵の具」を中学生の頃に見せていただいた事がきっかけです。
それはとても美しい色合いのもので、中には宝石の様にキラキラと輝くものもありました。

「岩絵の具」とは自然界にある鉱石、半貴石を砕いて砂や粉状にしたものですので、宝石の様だと感じたのはあながち間違いではなかったのです。
今は原石を染め付けしたものから作られる合成岩絵の具もあるのですが、天然の鉱石を原料としたものは落ち着いた深みとやわらかさとともに、ハっとする華やかな美しさを合わせ持ちます。
またその頃、日本画家東山魁夷の自然の美しさを見事に描き出した作品を目にする機会を得、ますます日本画に魅了されたのでした。
(余談になりますが、唐招提寺に奉納された東山魁夷の障壁画と襖絵は心が洗われる素晴らしい作品ですので、年に一度の特別公開にてぜひご体感いただけたらと思います。)
その後、大学で日本画が学べる事を知り、京都教育大学教育学部特集美術科に入学し、日本画を専攻するに至りました。
当時の大学には奈良の明日香にお住まいで日本画の美術団体「創画会」を代表する烏頭尾精先生と、京都で創作、ご活躍されている「日展」の岡村倫行先生という二人の対照的な素晴らしい教授が在職されており、その両師のもと自由に絵を描き学ばせていただきました。
日本画作品を完成させるにはまず小下絵という小さな画面で構図や色・形を模索する仕事から始まります。
その後中下絵、大下絵へと段階を経て構図などを調整した後、本画へすすみます。
着色は、動物のコラーゲンからできた膠(にかわ)という天然の接着材で絵の具を溶き、筆や刷毛を使い画面に絵の具を定着させていくのですが、「岩絵の具」は先にも記した様に砂の様なものですので、一度塗っただけでは発色しません。
砂の隙間を埋めていく様に幾度も、時には数十回にわたって少しずつ色を重ねていきます。
すると、フワっと色が輝く瞬間がやってくるのです。
その瞬間が好きで、途中で投げ出したくなる地道な作業と向き合い描きあげていきます。
絵を描くのに決まりは無いので、誰もが同じ行程をふんでいる訳ではありませんが、この様な仕事を時をかけ重ねる事で表現したいもの、空間の間など作品に対する気持ちが定められていくように思います。
私は自然界に無限に存在する美しい色の変化をこの古くから伝わる技法と「岩絵の具」を用いて表現したく作品作りを続けてきました。
2011年より描き始めた「ほおずき」は、その形状からハート(こころ、生命、愛)をイメージし、その色の変化に惹かれて初めたシリーズです。
ちょうどその第一作目と向き合い始めた時に東日本大震災が起こりました。
このまま作品を描き続けてよいのか、描く事に意味はあるのか、涙も止まらず自問自答しながらも、亡くなられた方、被災された方、また救援救護にあたられている方々の様々な想い・強さ・優しさをその「ほおずき」のハートに刻もうと描きあげました。
自己満足だな。
と思うのですが、見る人に何かしらの力やあたたかさが少しでも伝わればと。
この「ほおずき」は今後も自分の中でその時の想いを込めて描き続けるテーマとなっております。
日本画って何?水墨画の事?とよく聞かれるのですが、日本にはこんな美しい絵の具がある。
という事だけでもみなさまに知っていただけたら幸いです。
また日本画に限らずですが、部屋に絵が掛かっているだけで気持ちが豊かになることを感じていただける様に、気軽に「身近に置いてみたい」と思っていただける作品創りを目指し続けたいと思います。

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